景流寺|大分県日田市真宗大谷派の寺院

田舎の風景に佇む、
石垣に囲まれた真宗大谷派寺院

ギャラリー

京都 東本願寺にて得度式後

法要時の説法の様子

住職継承記念法要(2017年)

本堂にてイベント時の様子 1

本堂にてイベント時の様子 2

本堂にてイベント時の様子 3

本堂にてイベント時の様子 4

2021年 景流寺 御正忌報恩講

沿 革

寛永以前量明天皇の姫小松女院に仕えていた穴井四郎将監張継が福田寺を建立、その後穴井幸一郎尹直の代に至り、豊後玖珠より日田の求来里に移転してくる。
仮屋を建立し居住したのが、現在の景流寺の前身である。
当時は禅宗の寺院であった。
寛永2年(1625)当時の住職の名は明らかではないが、本願寺第十二世準如法王に帰依し浄土真宗に改宗。
つづいて豊前国柿坂瑞信山善正寺に入寺。数年間学び帰寺する時、十字名号「帰命盡十方無碍光如来」の御掛軸を下附。
元禄2年(1689)景流寺第一世住職、没す
元禄14年(1701)本願寺第十五世常如法主より、御本尊ならびに寺号「景流寺」を勅許される。
明治3年(1870)穴井の姓を「浅海」へ
大正時代第十世住職(現住職の曽祖父)は、東本願寺特派布教師を命ぜられる。北海道から台湾まで全国を布教すること40年余、“九州に浅海師あり”とその名を広く知られた。
この代に、日曜学校、仏教青年会、仏教婦人会を創立。
昭和60年代(1985)第十一世住職 浅海岬(現住職の祖父)の代には、本堂大改修が行われる。
平成23年(2011)十一世住職 死去(80歳)
平成27年4月28日(2015)現住職が住職教師資格を本山より取得。第十二世景流寺住職となる。
平成27年5月(2015)現住職 父 死去(56歳)
令和元年(2019)納骨堂改修事業完了
令和2年12月(2020)十一世坊守(現住職の祖母) 死去(87歳)
令和3年8月(2021)十二世坊守(現住職の母)死去(61歳)
令和4年3月(2022)景流寺ホームページ開設

浄土真宗とは

宗祖親鸞聖人(しんらんしょうにん)は、師である法然上人(ほうねんしょうにん)との出遇いをとおして、阿弥陀仏に帰依(きえ)して「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と称えることが、すべての人に開かれた平等な救いの道であるといただかれました。

聖人は、生涯にわたる聞思(もんし)のなかで『顕浄土真実教行証文類(けんじょうどしんじつきょうぎょうしょうもんるい)教行信証(きょうぎょうしんしょう) 』を撰述し、その教えを「浄土真宗」と顕(あきら) かにされました。

浄土がまこと(真)のむね(宗)である、浄土こそがほんとうの依りどころであるということです。

浄土は、日ごろのわたしたちの欲望に左右されることなく、どんな状況でも変わらず、失われることのない依りどころです。また「南無阿弥陀仏」のお念仏は、いつでも、どこでも、だれでもできる、普遍の仏道です。

苦しみ、悲しみ、悩むわたしたちは、浄土を願いお念仏を申すことで、人として生まれ生きていく意味、すべての人々とともに今生きているということを知らされるのではないでしょうか。

所在地

ご来訪の際は、お気をつけてお越しください。

真宗大谷派 瑞信山 景流寺〒877-0022
大分県日田市神来町1141
住職浅海 和希
電話0973-22-4544
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